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官能私小説ノート

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弘子とのその後 7-2 交通事故の保障

年が明けて間もなく、私は車対車の人身事故に遭遇しました。

乗っていた車は全損で相手の車も当然全損で尚且つ、相手の車に同乗していた女性は両脚複雑骨折で3年間入院をする事になったのです。

また最悪だったのは相手の車は自賠責保険も任意保険もない無保険車で、更に前日に会社を辞めた無職だったのです。

事故を起こした当日は私は直進で相手は右折でしたので、相手の運転手はずっと私に謝罪していたのですが、事故の明くる日からは豹変して、同乗者の女性の親はホニャララ団の下っ端団員だったので、毎日電話で脅されました。

これから独立開業するのに、ホニャララ団に関わらなくてはいけない事にホトホト困ってしまいました。

そこで思い出したのです、私が以前に、ホテルの料理長で務めていた会社は、表向きは地上げ専門の不動産会社でしたが、バックは広域ホニャララ団のフロ〇ト企業でしたので、当時の支配人に相談すると、以前に売上を上げて社長賞を頂いた事があったので、社長に話し(事故の経緯)を通して頂いた際に直ぐに私だと分かって頂き、社長の部下さん(ホニャララ団の方)が相手のホニャララ団の酋長に対して直ぐに動いて下さったのでした。

蛇の道は蛇です。

本来は私が被害者です。

相手の車は無保険ですから、私の保険で相手の車の同乗者の女性の医療費は全て出したのです。

そして相手の車は無保険(任意・自賠責の両方入ってなかった)だったので、私の車は全損で修理費用が300万円でしたが相手は払えないと言っていたのです。

その同乗者の女性の父親が幾らホニャララ団の団員だとしても、どう考えたって私が脅される筋合いはないじゃないですか、それこそ理不尽というものです。

社長の部下さんが話し(事故の経緯)を相手のホニャララ団の酋長に通して下さった明くる日に、相手の同乗者の女性の親御さんから丁重な言葉の謝罪の電話が有り、喫茶店でお会いする事になったのです。

その際に300万円の現金と菓子折りそして謝罪の手紙を頂き、お会いした時には始終平謝りをしていました。

お蔭で2回目の独立開業の資金になったので助かりました。

明くる日にホテルに訪問して支配人にお礼を言い、本社社長宛に手紙を書き、お礼のお品を添えて本社に送って頂きました。

その事故があり、人伝に聞いた弘子の父親が、「二人の結婚を許すから、近日中に二人で来なさい」と言われたのです。

(END)

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弘子とのその後 7-1 結婚を焦る弘子

結婚式に憧れるほどの歳ではないだろうと思っていた弘子は25歳でした。

私は、結婚式や披露宴には全くと言って良い程、やりたくなかったのですが、弘子は初婚だった事もあり、女性ですから式や披露宴はしたいだろうなとは思っていました。

以前に私との結婚式はどうしたいの?って話になった際に、弘子は「育ての両親に今までの感謝の気持ちを添えて花嫁姿だけは見せてあげたいと思うから、家族だけのこじんまりした式でいいと思ってる」とそう言った事があったのです。

私は弘子に「式や披露宴って結婚する二人の為にあるんじゃないと思ってるんだよね、一番は新婦の両親の為だと思ってるんだ、だから本当は弘子のご両親に結婚を認めてもらった上で式や披露宴が出来たらと思ってる」

徐々にですが私の2度目の独立開業の事が頭にあって、時間的な余裕も無くなり、障害だらけの弘子との結婚が弘子への言葉とは裏腹に面倒になってきていた時期でもあったのです。

それでも弘子と付き合い出して、三ヶ月が経ったある日のデートで初めて手を握り、その三ヵ月後に初めてキスをして、その半年後に、私との付き合いを両親に反対された時に家出をして私の部屋に転がり込んだ日の夜に初めて彼女を抱きました。

両親の反対を押し切って家出をして同棲が始まり、私の心に「この人しかいない」と確信するまで時間は掛かりませんでした。

その他の女性たちから、弘子と同棲が始まった直ぐに電話を貰った時に、「将来を誓った彼女と今、同棲し出したので」と言って勝手だけど、強引に別れました。

一人娘だった弘子が家出をしてしまった事で、私の両親や兄弟、そして親戚の事を興信所を使って徹底的に調べ上げたのです。

その調べた内容を元に、父方の兄弟とその連れ合いと母方の兄弟とその連れ合いの情報を集めて私や両親や親戚の事を誹謗中傷の的にしたのです。

その事を聞いた弘子は両親への人間不信になってしまったと言いました。

(つづく)



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弘子とのその後 6 結婚に向けての電話での会話

弘子は電話で「お互いの親に挨拶を済ませたから、結婚の準備を始めるって事で良いのかな?」と。

私「でも弘子のご両親は私との交際だけでもダメみたいだったじゃない?それで結婚の準備をし出すのっておかしいと思うけどどう?

弘子「和夫さんのご両親はOKして下さったし、最悪、私の両親が反対するなら、私は家を出るつもりがありからお嫁さんにして」

私「嫁にする事は全然構わないけど、育ててもらった恩義とかあるんじゃないの?」

弘子「そりゃあるけど、幾ら両親が養子で私を貰い受けたとしても、結婚するのは私だし、相手を選ぶのは一番は私の気持ちなんじゃないかって思っているから」

私「それでもご両親に納得してもらってからの方が良いと思うよ」

弘子「もしかして、私との結婚が嫌なの?」

私「そんな事は絶対に無いけど、育ての両親が納得した方が将来の弘子自身が幸せになるんじゃないかって思うからさ」

弘子「だからと言って、あの頑固なお父さんが、和夫さんを納得して迎い入れてくれるとは到底思えないもの」

私「結婚して顔を合わせる度にある事ない事で罵倒されるのは嫌だと思っているんだよね」

弘子「子供が出来れば変わると思うの」

私「変わらなければ?」

弘子「変わるから見てて」

私「ま、結婚の事は追々考えよう」

弘子「は~~~い」と不服そうな返事が返ってきました。

(END)

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弘子とのその後 5 弘子と親友の会話

弘子からの電話の内容です。

先週末、親友のEちゃんに会って、結婚を前提にして付きっている彼ができたと報告をしてきました。

このEちゃんは、Eちゃんの彼の二股疑惑が持ち上がった時に、悩みを聞いていた仲の小中時代からの親友です。

あの時は、彼女の仕事中から彼女の涙が止まらなくて、親や兄弟に心配をかけちゃうからと家にも帰れず・・・で、Eちゃんは泣きながら「仕事が終わったらお家に行っていい?」 と聞かれて、その話しを聞いてあげた仲だと言っていました。

そんな事もあったので、私との事は本当に喜んでくれたとの事で、今度会ってとも言われました。

嬉しい報告をしに行った筈でしたが、先日の弘子の両親と会った際に父親の言動で弘子は無意識のうちに、不安だとか、心配だとか、そんな話ばかりをしてしまってそうでした。

ここ最近は、私との結婚に向けての話をする機会が多くなってきていて、それに伴って、どうしよう・・・。ってなることも増えてきたと相談したそうでした。

それでも、ほんの些細な嬉しかった事を話したそうです。

私と買い物をしに行った時のことで『もう、あの厳格な親の目を気にして洋服を選ぶ必要がなくなったので、今は着たい服を選べるんだ』ってそう言う弘子に私は

「良かったね~」って言ってくれて、洋服を買ってくれた事を話したそうです。

「そうするとEちゃんが『フリーの立場の時は、彼と中々出会えない事が不安で、お相手が見つかると、親戚付き合いとか新しい生活が不安になって、結婚すると、子供ができるどうか不安で、妊娠したら、ちゃんと生まれてきてくれるか不安で、次のステップに進むと、また違う心配事は出てくるのよね。今は、ちゃんと今の幸せを噛み締めてその一瞬一瞬を大切にした方が良いからね、その幸せは、彼がくれたものなんでしょ?じゃあ、大事にしなきゃ』と言ってくれたの」と。

「本当にそうだと思ったの。先の事ばかりに捉われていて、大事なことに気付いてなかったEちゃんの言葉で 私、今幸せなんだ。それは和夫さんがいてくれるからなんだ。心からそう感じられるようになったの」と。

(END)

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弘子とのその後 4 生意気な次弟の言葉

逢った時や電話の度に弘子は私との結婚後の生活を想像して話しをするようになりました。

それは私自身が弘子の両親に会った際に、父親から酷い事を言われ、交際を反対された事によって、弘子との交際を断念しようと思っているのではという危惧からだと思っていました。

実際問題、弘子と結婚した場合、あの両親も漏れなく付いてくるので、正直不安がありました。

当たり前ですが弘子は育ての両親にも恩義を感じていて、両親が歳を取ってから貰われた事で、既に高齢になっていた両親を捨てて私の元に飛び出して来る事も躊躇していたのだと思うからで、私に対して「結婚したら両親と一緒に住んで」とも言えなかったのだと思います。

私もあのモンスターな父親と一緒に住んだら精神がおかしくなりそうでしたので、頼まれてもこれだけは二つ返事ではいかないと思っていました。

両家の家族や親戚が入らない二人だけの夫婦生活でしたら、幸せまっしぐらになりそうな予感は有ったのですが、互いの家族や親戚が入ってきたら、特に弘子の関係は父親が言うには堅物揃いで既に私との交際を反対しているようでしたので、心配が増長しました。

そんな私の深層心理を見抜いていた弘子は、それを直接言えなかったから、二人の結婚後の話しをしていたのだと思っていました。

反対に私の両親は初婚の弘子が私の妻に成る事には反対は一切ありませんでした。

ただ、弘子を実家に連れて行った際に、生意気な次弟が私の居ない時に弘子に対して「俺はまだ認めた訳ではないから」と言ったそうで、後にそれを聞いた私は激怒して次弟に電話をして「何処の誰がそんな生意気な口を利いているんだ?」と問い質すと、その場で直ぐに「兄貴、ごめんなさい」と謝罪しました。

次弟は私と4歳違いですが、学校や地元の不良に虐められた際にいつも私に助けられていたので、大人になってからも私に逆らう事は一切なく、蔭に隠れて弱い者虐めが得意な奴でした。

成人してからも、自分は矢面には立たず、いつも父の蔭に隠れて私を攻撃していて、自分の会社を興す時には全て親父におんぶに抱っこで開業しました。

開業資金、運転資金は全て親父から出て、倒産する際は連帯保証人の親父に責任を全て被せ、妻と4人の子を捨てて仙台に一人で逃げ蒸発し、その10年後に父親が他界し、その葬式の日に私たちが伝を辿って探し出し、その際に一人で来れなくて後妻を連れて参列した最悪でした。

私はこの調子の良い弟が子供の頃から大嫌いでした。

(つづく)

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