FC2ブログ
 

官能私小説ノート

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

27-2話 「実父の他界」

その後の末弟と叔母(父の次姉)の報告に寄れば、父は叔母から500万円の借金をして2坪ほどの店舗を借りて携帯屋を経営したのです。

その際に叔母が私に電話をして来て、「和ちゃん、お父さんに500万円貸したから保証人になってほしいんだけど」と言われたのですが、私は「叔母さん、親父は商売を舐めてますから、金を貸しても溝に捨てるようなものですよ」と言いました。

父は次弟の会社に資金を出していた頃に、大手出版社の社員でありながら副業で携帯屋をやっていた時期があり、店に出勤する前に酒を飲んで行った事が何度も有ったと末弟から聞いていました。

そんな人間が身内から金を借りて商売をしたって成功する訳がないからです。

ましてや次弟の会社の借金の返済も出来ず、破産宣告をして社会的信用が全く無く、銀行から金を借りられない人間が身内から借りて、返せる訳がないからです。

案の定、半年も経たない内に倒産して、叔母が父に貸した500万円を返してほしいとの電話を貰いました。

私は叔母に「叔母さん、だから言ったでしょ?」と。

昔から祖母も含め叔母もそして父も、父の弟の叔父も金に甘い人種でした。

返せなければ身内の誰かが助けてくれると思っていたのでしょう。

父も20歳代の頃に砂利屋を経営して、客に売っても料金をもらえなくて、倒産させ、祖母に借金を肩代わりしてもらった事があったそうです。

叔父は何度も飲食業をやっては潰し、祖母に肩代わりしてもらっていました。

私も子供の頃に叔父が経営したそれぞれ時期は違いましたが数軒の喫茶店に行った事がありました。

父は他界するまで、金に甘い人間で、借金を返済しない内に飲酒運転でバイクに乗って自損事故を起こして寝たきりを3年続けその後、他界しました。

父の他界後、母は年金を毎月20万円貰い末弟夫婦と一緒に住み、悠々自適に過ごしています。

今の母の年金が毎月20万円入ってくるという事は父が生きていれば、もっと貰えたとすると、叔母に500万円を借りて携帯屋をやる必要がどこにあったのか?

大人しく余生を年金で暮らせば、贅沢をしなければ、趣味を謳歌して、悠々自適な老後生活ができたであろうに。

それが未だに疑問です。

悲しいかな父は会社員時代、仕事人間で無趣味だったから、商売をせざるおえなかったのかもしれません。

(END)

スポンサーサイト
[PR]

PageTop

27-1話 「実父の他界」

実父を初め私の家族そして妻、弘子の家族の話しを書くには相当の時間を要しますので、簡単に纏めて書かせて頂きます。

以前にも書きましたが、次弟は私と4歳違いですが、学校や地元の不良に虐められた際にいつも私に助けられていたので、大人になっても私に逆らう事は一度もなく、強い者の影に隠れては弱い者虐めが得意な卑屈な弟でした。

成人してからも、自分の会社を興す時には全て親父におんぶに抱っこで開業しました。

開業資金、運転資金は全て父に出させ、倒産する際は連帯保証人の父に責任を全て被せ、妻と4人の子を捨てて東北に一人で逃げ蒸発し、その10年後に父が他界し、その告別式の前日に私たちが伝を辿って探し出し、その際に一人で来れなくて後妻を連れて参列した最低の男でした。

告別式参列後に両親が住んでいた築50年の木造アパートに末弟と母、後妻そして次弟が行きました。

私と弘子は告別式後には仕事があったのでその後は行動を共にしませんでした。

部屋に入った次弟は「俺の所為で親父とお袋をこんなアパートに住まわせて申し訳なかった」と言って泣き崩れたそうです。

その時に末弟が、「俺、今度、近所に兄貴(私)が頭金を出してくれるって言ってくれたので、土地を買ってお袋と住む家を建てる事にしたから、兄貴(次弟)は心配しなくても大丈夫だよ」と言うと、また泣き崩れたと末弟が電話で話してくれました。

私は次弟には本当に怒りを持っていて、今後一切会いたくない人間の一人でした。

次弟の所為で、私自身、そして弘子の人生をも変えてしまったからです。

父は次弟の会社が倒産する寸前に前妻は弟の会社に残っていた現金(2千万円程)を貸金庫に仕舞い、父には鍵を渡さなかったのです。

連帯保証人になっていて、全て財産を抵当に入れていた父は、住む家も代々から受け継いだ山手線内側の駅から3分の貸しアパートや貸し店舗まで全て取られ、あのボロアパートに住むしかできなかったからです。

私は再三、父には「お袋と住む家と退職金だけは手を付けるなよ」と言っていたのですが、人間切羽詰まると、全てを投げ出しても惜しくないような気持ちになってしまうのか、父は私に「お前は俺の財産を狙いに来たのか!」と泥酔状態で怒鳴り付けられた事もありました。

私は「親父はお前にだけは俺の財産はやらないって昔から言っていたじゃない!俺は家出した時から親父の財産なんか当てにしてこなかったよ、今後、どうなっても知らないからな!勝手にやってみればいいよ、このまま行ったら全財産がなくなって惨めな老後になるぞ!」と言って、その後は一切、実家に近寄りませんでした。

(つづく)

PageTop

26話 「義父の他界」

忘れもしないある年の3月8日にあのイヤミで意地悪な義父が他界しました。

あの7話の「義父の急病」から最初の内は毎週1回から段々に毎週2回になって亡くなる3年間は毎週3回の人工透析の行き来の送迎は私の役目でした。

行きは未だ元気なのですが、帰りは死にそうなほどの脱力感で辛そうにしていて、その身体を支えて車に乗せるのや、家に着いて靴を脱がして玄関に上がらせるのが、身体の大きな私でも大変でした。

そんな義父も送迎をしている間中、一回も礼を言われることは無く、元気な日には車内で相変わらずのイヤミや侮蔑の言葉が車内にて並びました。

つまり他界するその日まで、私へのイヤミや侮蔑の言葉が無くなった事はなかったのです。

人工透析のクリニックの医師や看護師も送迎の度に私が頭ごなしに怒鳴られている姿を目にしていて、「大変ですね~」といつも声を掛けて下さっていたのが唯一の救いでした。

私は仕事中に義母から義父の死を電話で知らされ、電話を切った時に、正直な気持ちで「ヤッター!」と叫び心底から清々とした気持ちになりました。

その後、自宅に居た妻と倅を迎えに行き、病院に行きました。

義母は動転していたのか、私たちが霊安室に入った途端に「遅かったじゃない!お父さんが可愛そうでしょ?」と感情的に怒鳴りました。

相変わらず、自己中心的な物言いの義母でした。

その本性が義父の通夜の場面で現れました。

私たち夫婦に打診もしていないのに義母は「あんたたちはお父さんに今晩は付いていてね、私は妹たちと帰るから、バイバイ」とヘラヘラ笑いながら言って、さっさと叔母の車に乗り、実家に帰って行ったのでした。

葬儀全般(金銭面も全て)を任されて、義母にとっては当たり前の事なのかもしれませんでしたが、一切礼を言われる訳でもなく、自分の伴侶が他界したと言うのに、さっさと帰ってしまえるその神経が私には理解できませんでした。

この時に既に義母も認知症が発症していたのは、今に成ってみれば、理解できる事が多々あり、その後も、この認知症のお蔭で大変な事が起っていきました。

(END)

PageTop

25話 「愚痴」

実母の愚痴、特に実父の愚痴は実父が他界するまで私の幼少の頃から続いていました。

両親の喧嘩はほぼ毎日で、暴力沙汰になるほどの喧嘩が耐えない夫婦でした。

特に直ぐ次弟の会社の経営がおかしくなって来た頃からの母の愚痴は聞くに耐えない様な口汚いものになっていて、我が家に泊まりに来ては、私の仕事が終わって帰宅する頃には母の目は酒の深酔いで目が据わっていて、父の愚痴を言いました。

私は仕事で疲れきって帰宅しているので、「その話しはもう聞き飽きたから」と言うと、ヒステリックな金きり声を上げて、挙句の果てには、私を標的にし出して罵倒した言葉を発するようになるのです。

私は「その事を本人に言えば良いじゃない」と言っているのですが、母は父には言っても無駄だと言い、その頃には父と面と向って話す事をしなくなって、その代りに、直ぐ次弟や末弟には絶対に話さないのですが、我が家に来て、愚痴を零していました。

次弟の会社が倒産し、父が破産宣告し、代々からの全財産を次弟の会社に入れ込み溶かして、古いアパートに引っ越すまで続いたのです。

それまでは金銭的には細かくなかった母がこの事が切っ掛けでその後は守銭奴化して、私から金品をせびるようになっていったのでした。

父の葬儀の際に私は「もうこれ以上はお袋や史の面倒を見てやれないから、二人が住む家を買う頭金だけ出すから、これを最後にしてもらえないかな?」と打診すると、母も末弟の顔が明るくなり、二つ返事で納得してくれたのです。

しかしその後も金銭的援助が続きました。

そんな事もあり、その後からは私たち家族は一切、連絡を取らなくしたのです。

ケータイの番号も新たにしましたし引越し先の今の家も教えていません。

(END)

PageTop

24-2話 「次弟の会社の倒産と父のその後」

私は父に何度も「自分たちが住んでいる家と親父の会社の退職金だけには手を付けるなよ、それさえあれば、年金とその金と家で一生、暮らしていけるんだから」と言うと、

父は私に「お前は俺の財産を狙っているのか?!」と怒り出す始末で、その頃の父は朝から酒を煽っていてアル中状態でした。

案の定、父は自己破産の申請をしたのですが、弁護士に払う金(30万円)も無くて私が肩代わりしたのです。

その後も山っ気は直らず、私に「1千万用意しろ!」との電話を貰ったのですが、そんな金を簡単に用意できるほど、私の商売は甘くないので、「簡単に言うなよ、そんな大金は用意できないよ、また何をしようと思ってるの?」と訊くと、「携帯屋をやる」と言うので、「サラリーマンしかやった事がないんだからやらないで、年金でお袋と大人しくしてな」と言うと、父の直ぐ上の姉(叔母)から500万円を借りて携帯屋を開業したのですが、アル中の父が商売などできる訳もなく、半年も経たない内に倒産したのです。

その後、その貸した叔母とある葬儀で顔を合わせた時に「和ちゃん、あんたのお父さんに500万円貸したんだけど、貴方保証人になってよ」と言われたのです。

私は「叔母さん、何で貸す前に相談しなかったの、その金は溝に捨てたと思った方が良いからね」と言いました。

叔母さんはかなり落ち込んでいました。

父の姉弟は金に無頓着で、祖母が生前中は何でも後始末をしてくれていたので、甘いんです。

窮地になったら誰かが手を差し伸べてくれるぐらいに思っているので、責任感というものが全く無いので、子供の立場ながら見ていてハラハラしたものでした。

父はその後、飲酒後にバイクを運転して倒れ、脳出血で寝たきりになって3年の闘病生活の間に認知症を併発してその後他界しました。

葬儀の際にその下の弟が離婚して実家に戻ってきていたので、私が頭金を出して母と住む家を購入させたのです。

母の面倒を見てもらっていた末弟に対しても引け目がありましたし、母自身もただ末弟に世話になるのでは、肩身が狭いと思っての事でした。

その葬儀の席に、失踪した次弟を見付け出して葬儀に参列させました。

その時には次弟は次の嫁さんと結婚していて幸せな家庭を作っていたのです。

私はその姿を見て「ふざけんな!お前が失踪した事でどれだけの人に迷惑を掛けたと思ってるんだ」と思い、言いそうになりましたが、既に過去の事で、恨み節になるので言葉には出しませんでした。

その数年後に直ぐ次弟は喉頭がんで他界しました。

葬儀に私は行きませんでした。

その後、また金銭面で頼られて、これ以上、この家族に付き合っていると、私自身や家族そして会社までおかしくなるのではと思い、付き合いを止めました。

私はその新築した末弟と母の家には一回も行っていません。

末弟から「兄貴、ゴルフ始めたんだけど、クラブとシューズ買ってくれよ」でした。

勤務する会社では工場長をやっていて二人も子供のいる40才過ぎの男が、兄に甘える言葉ではありません。

母は年金を十分に貰っているにも関わらず、末弟もそれなりの高給取りなのに、甘えられると思ったら湯水のようにもっともっとと甘えてくる人種です。

人の金は自分の金、自分の金は自分の金の精神でしょうかね?

私はこういうのダメなんですよね。

甘えられません。

(END)

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。