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官能私小説ノート

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シカゴ出張 3 メアリーとオーナーご家族との出会い

2時間が過ぎた頃に「Can you speak Japanese? 」と言うと外人の年齢は良く分からないけどおおよそ40歳前後ぐらいの白人のご婦人が「私は日本語を話せますよ」と少し発音はおかしかったのですが言われました。

事情を説明したら快くオーナーの自宅に電話して下さり、そのご婦人はたまたまオーナーのご自宅の近くに住んでいて、ご主人が日本人だったという事でオーナーご夫妻と知り合いでご婦人の車に乗せて頂いてオーナーのお宅まで行く事が出来たのでした。

車中ではそのご婦人のご主人がで5年ほど大病をされ入院していたので、日本に居るご兄弟がお見舞いに来て帰るので空港まで送りにきたとの事で、ご主人は今も入院中との事でした。

私自身も今回、シカゴに来た経緯などを車中で話しているとフレンチのシェフと分かってシカゴに滞在中にご婦人のご自宅でフランス料理を作って差し上げる事が決まり、それを今回のお礼とさせて頂くことにしたのです。

車中でそのご婦人の住所と電話番号を頂き、訪問する日が決まったら電話するという事で約束したのでした。

当時のアメリカではフレンチシェフと言うだけで、日本とは違う尊敬の念で高待遇の扱いをして頂けたのでした。

オーナーのお宅に送って頂きメアリーにオーナーご夫妻がお礼の挨拶をして下さって、その日はオーナー宅に泊まりました。

オーナーのご家族はオーナーは日本人で奥様は髪はブロンドで瞳は青く典型的な白人で身長こそそれ程高くは無かったのですが、いわゆる美人さんでお子さんが幼児の息子と娘さんでした。

滞在中はオーナーのお宅に宿泊する事になっていました。

夕食は近所のレストランで頂き、味は総じて砂糖の甘さが強かったのが印象的でそう記憶しています。

既に店舗は借りてあり内装は以前に寿司屋さんだったそうでそのまま使うとの事で、明くる日から従業員の面接に入るとの事で、私がやるべき事は従業員さんたちに寿司の仕込みや握り方やメニュー作成をするだけのようで、それだけで3ヶ月間のアメリカを満喫できるなんて嬉しい限りでした。

明くる朝はオーナーの愛車のキャデラックに乗ってオープン予定の店舗に行きました。

その時にオーナーから言われたのはアメリカで成功した者はキャデラックに乗るとの事でした。

私は「ふ~ん、そんなものなんだ」とただ思っただけでした。

ただ、オーナーは奥様を乗せる時は助手席に回ってドアを開けてあげて、奥様が乗ったらドアを閉めて自分が乗るのを繰り返していて、スーパーなどに入店する際も奥様を先に行かせたりと奥様に物凄く気を使っていたように思いました。

後ほどにオーナーが愚痴を言っていたのを聞いた時に人種差別は未だに健在なんだなと思ったものでした。

奥様は白人でご主人は黄色人種という事で米国内ででしょうか引け目を感じているそうで、それは一生付きまとうと仰っていたのが印象的でした。

(つづく)

いつもご協力ありがとうございます



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シカゴ出張 2

ノースウエスト航空の飛行機で日本の航空会社ではなかったので客室乗務員は全員外国人でしたので、既に飛行機内では外国で何だかとても緊張したのを記憶しています。

機内食の際に「chicken or beef 」だけ訊かれたと記憶しています(笑)後は寝ていたので何の問題もありませんでしたが、問題は入国審査の段階でした。

荷物を全て開けさせられて身振り手振りで説明したのですが、黒人のアメリカ人には一切通じず、1時間以上その場に居させられたのです。

その後の便から下りてきた貿易関係の日本人の男性が私に「どうしました?」と訊いて下さったのでした。

アメリカに来た目的をその方に素直に話すと全て英語で通訳してくれて、入国する事が出来たのです。

ところがです、寿司屋さんを経営したいと行っていた在米日本人のオーナーが待っていてくれる筈だった場所にはオーナーは居なかったのです。

空港の外には出れたのですが、その後が困りました。

あの通訳をして下さった親切な男性も何処かに行ってしまいましたので途方に暮れていました。

オーナーの住まいの住所と電話番号はメモに記されていたのですが、電話の掛け方も分かりませんし、電話口にアメリカ人が出てしまったら話せないですし、電話番号をそのまま回せば繋がるとも分からなかったのでまたまた途方に暮れてしまったのでした。

仕方なくまた、日本語と英語を話せる人を探す事にしたのです。

空港の外で荷物を持ちながらの人探しは一苦労でした。

日系人のような顔をしている人を捕まえては「Can you speak Japanese? 」と言って回ったのですが、2時間経っても見付からずに途方に暮れていました。

この時ほど、井の中の蛙だと言う事をつくづく知ったように思いました。

(つづく)

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シカゴ出張 1

横浜市緑区の時代に前妻と協議離婚してまた独身に戻った私です。

一ヶ月ほど、何をやるのも勢いがなく、腑抜け状態を過ごしました。

その後、こんな事ではダメだと思って、渋谷の師匠のところに戻って次のヘルプ先の指示を待ちました。

師匠から授かった指示はアメリカのシカゴで寿司屋を経営したいというオーナーからの依頼が入ったから「お前が行ってこい」と言われました。

当時の私は寿司の修行はしていなかったので、握り方すら分かりませんでした。

そこで料理長の古い知人の寿司屋の花板さんの店で1ヶ月間、修行をする事になったのです。

修行をしていながら思っていたのは、私ではなく寿司職人を依頼のあったオーナーのところに行かせれば済む話なのでは?ずっと疑問に思っていたのですが、そんな事を訊ける時代でもありませんでした。

ま、折角、修行をした事のない寿司ですから、覚えていて損はないと思ったので修行しました。

修行と言っても一通りの仕込み方を教わるだけであっと言う間に半年が過ぎてしまいました。

元々魚の捌き方は全く問題は無かったのですが、シャリ切りなどの寿司飯の仕込みや握りは経験が物を言うので、必死に覚えました。

1ヶ月が経った日に師匠からシカゴ行く日と時間そして航空券とシカゴ在住のオーナーのご自宅の住所と電話番号そしてオーナーの名前が書いてあったメモを頂き「後は自分で」と言われました。

アメリカへの渡航は初めてだったので何をどうしたら良いのか全く分からず、何よりも英語が全く話せないと言うので途方に暮れていたのですが、アメリカ帰りの先輩が居たので教えてもらいました。

旅行会社のツアーでしたら全て旅行会社がしてくれるのですが、全くの個人旅行でしたので全て自分でしなくてはいけませんでした。

推測ですが、当時の師匠の周りで単身でアメリカのシカゴに行けと言って二つ返事で「はい、行きます」と言える人が私しかいなかったと言うのが本当のところのように思いました。

何故なら、ビザ申請だけでも大変だったからで書類の不備でアメリカ大使館に何度も通い、やっとの思いでビザが下りて晴れて飛行機に乗ることが出来たのです。

(つづく)

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前妻 千春 107-2話 離婚

(エッチな描写はありませんのでご興味の無い方は読み飛ばして下さい)

最後の結審の日に本人と会い、一緒に家裁を出て途中で昼食を共にしました。

お互いに今後の事を話し、元妻が最後に思い出で洋服を買って欲しいと言われたので、一緒に買いに行きました。

全預金を取られたのに、まだ洋服をねだるのですから、大した人でした。

改札口でバイバイしてその後は一切会っていません。

風の噂では暫くは東京に居て、その後九州の地元に帰ったそうでした。

また隣の部屋で自殺した、あの忌まわしい、いわく付きの蒲田の部屋に戻っての生活が始まりました。

それからの私は一ヶ月ほど腑抜け状態になっていたのは間違いありません。

離婚は女性より男性の方がダメージが大きいと思います。

ま、これは私だけかもしれませんが。

犬のように直ぐに忘れて新たな道を歩むほど、私は精神が強くなかったのです。

別れた瞬間から不思議なのですが、彼女との夫婦生活の中での嫌だった事は思い出さないのですが、楽しかった事ばかりが走馬灯のように思い出してしまうのです。

この頃から私は自宅で酒を飲むようになったのです。

最初は舐めるようにしか飲めませんでしたが、飲んでいく内に段々と酒も強くなっていき濃く出来るようになり、最後にはウイスキーのボトルを一夜に1本空けられるほどにまで飲めるようになっていったのでした。

その頃には、酒が美味しく感じられるようになっていました。

そうなると、不思議なのですが、美味しいと思える味覚が変わってくるのです。

例えば春野菜のあのほろ苦さやホヤなどの微妙な味が、何とも言えない味になってくるから不思議でした。

また他の女性を抱いている時もあの吸い付くような締まりの良かった前妻のアソコの具合を思い出してしまうほどでした。

107-2話に上る拙い前妻との事やその間の女性関係を最後まで読んで下さった読者の皆様に御礼申し上げます。

(END)

いつもご協力ありがとうございます



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前妻 千春 107-1話 離婚

(エッチな描写はありませんのでご興味の無い方は読み飛ばして下さい)

頼子との付き合いが、店のスタッフにバレ、その事を妻の千春の耳に入りました。

千春は自分の事は棚に置いて、鬼の首を取ったかのような勢いで私を責め立てました。

この時の事を書くのが本当に嫌になるほど、今思い出しても、胃が痛くなるような忌まわしい出来事でした。

妻は家庭裁判所に出向き、自分の事は一切話さず、私の不倫だけを話して調停して貰いました。

裁判所から呼び出されて、調停員から慰謝料はこのぐらい支払うのが良いと言われたのです。

その金額は私が次の店を開業する為に貯金をしていた、全預金の金額だったのです。

それでも浮気性(私自身も言えた義理はありませんが)の千春と離婚できるなら、良いと思って、全預金の印鑑と通帳を妻の千春に渡しました。

お蔭で残っていた、次の開業資金で貯金していた私の預金300万円も前妻に慰謝料として払う事になったのです。

それでも別れられてその時は本当に良かったと思いました。

自分善がりで正義感だけの不純な動機の結婚ほど意味がないと思いました。

また預金も0円いや、マイナスになり、前妻がローンで買ってしまった、物の返済もあり、出直し人生が始まった日でもありました。

勿論、全てが彼女の所為ではありません、

結婚生活の破綻は、どちらかが一方的に全て悪い訳ではないからです。

今回の結婚生活を総括すれば、50対50で若気の至りだと反省しました。

彼女が浮気や不倫に走る前に気付いて、もっと彼女に目を向けて優しくしてあげれな良かったとも反省しました。

(つづく)

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